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ホンブチョウ

Author:ホンブチョウ
1947年生まれ、趣味が読書の
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趣味の読書 その251 トランプ大統領の「パリ協定」離脱、表明について

Category : 読書
トランプ大統領の「パリ協定」離脱、表明について
トランプ大統領が、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」から米国が離脱すると発表した。選挙公約通り、離脱は「米国の主権を改めて主張する」意味合いがあるとして「米国第一主義」を強調した。そもそも、パリ協定とは2015年12月に米国を含む195カ国が合意。オバマ前米政権は2025年までに地球温暖化ガスの排出量を05年比で26─28%減らすと表明していた。トランプの考え方は、中国、ロシア、インドは何も貢献しないのに米国は何十億ドルも払う不公平な協定だ。と言うもので根底には、アメリカが大金を出して損をしている、がある。ただ、脱退の手続きに3年から4年を要するため、米国の正式なパリ協定離脱は2020年アメリカ合衆国大統領選挙が行われる2020年11月3日以降となる様です。トランプ大統領のアメリカだけが良けりゃいい、他の国の事はどうでも良いという考え方は、アメリカは世界のリーダー役を降りる宣言にも感じられました。

矢端竜一は魑魅魍魎が蠢く裏社会の支配を目論んだ。手始めに、株の業界紙を発行する新聞社に潜り込み、その乗っ取りに成功する。億を超える金に群がるクズ共を冷徹に操る竜一は、大物ヤクザ・曽根村の信頼を勝ち取るべく、殺人にまで手を染める。野心の塊のような竜一の疾走。それは、双子の弟・竜二と交わしたある約束を果たすためだった…。
(「BOOK」データベースより)

白川 道(しらかわ とおる)
1945年(昭和20年)10月19日生れ。2015年4月22日(満69歳没)。大学卒業後、入社した大手電機メーカー(三洋電機)を3か月で退社したのち、大手広告代理店に入社したものの、26歳で退社した。先物取引会社勤務を経て旅行会社や書店を起業したが、いずれも失敗した。好きな作家の一人で、特に『病葉シリーズ』が好きで愛読していました。主人公の「梨田雅之」が、、麻雀と女を通して、裏の世界にも足を踏み入れながら、成長していく過程を描いた青春ギャンブル小説。まるで、作者自身の経験してきたエピソードを描いたような作品で大変面白かったが、彼の死去で絶筆となり話が、これから先どの様に展開してゆくのか楽しみにしていましたが、残念ながら読めませんでした。


本1


大人気シリーズ、待望の続編!。ある大物実業家を叩き潰すべく、修羅の双子が加速する。敗北が許されぬ闘いの行方は?矢端竜一、四年ぶりの帰国。だが、彼の胸中に特別な感慨はない。ブラジルのリオで過ごした日々の全ては、これからの復讐計画完遂のため。早速、双子の弟・竜二に会いにいった竜一は、残した資産の五十億が百五十億にまで膨らんでいることを知らされる。だが、彼らが狙いを定める二階堂急便は業績を伸ばし、並の策では倒せない強敵になっていた。「おれたちは天才なんだ。誰にも負けやしない」。漲る闘志を胸に秘め、竜一と竜二は行動を起こす。己の度胸と才覚を武器に巨大企業に挑む彼らは、壮大な復讐計画さえ踏み台にして、さらなる高みへと昇りつめていくのか?
(amazon.co.jpより)


本2


ペナン島で改修を終えた東方交易第三の帆船ベンガル号が、その勇姿を上海に見せ、多国籍の仲間が揃った。長崎では、玲奈の母・薫子も、ドン・ミゲルに着いてマラッカに向かうことを決める。だが、横浜より悲報が。藤之助や玲奈と東方交易を設立した黄武尊大人が横浜支店を襲った連中に殺されたという。攘夷過激派の仕業か、それとも幕閣の差し金か。そして座光寺一族の秘命”首斬安堵”をどうするか? 藤之助の見せた決断とは?
(amazon.co.jpより)

この第23巻「飛躍」で、『交代寄合伊那衆異聞』シリーズは完結になりました。徳川幕府の旗本の家格の一つである、交代寄合四衆のうち、実在した信濃国の信濃(伊那)衆。諸般の経緯を経て止む得ず当主になった「座光寺藤之助」通称サムライ・藤之助を主人公にした物語で、舞台は日本国内だけに留まらず、香港や東南アジアまで広がりスケールの大きな小説で、毎回楽しみながら読んでいましたが、今回で終結して寂しい思いです。


本3








趣味の読書 その252 中国は世界の電動自動車の中心となるか?

Category : 読書
中国は世界の電動自動車の中心となるか?
中国の大気汚染の原因は、工場の安価な質の悪い石炭だけではなく、急激な増加による自動車の排気ガスも大きな要因となっている。2016年の中国新車販売は前年比13.7%増の2,803万台となり、2009年にアメリカを追い越し8年連続の世界一の自動車販売台数になっている。中国政府は、ガソリン車を一気にEV(Electric Vehicle)電気自動車に置き換えたいと思っていて近い将来には、年間2,000万台以上のEV車が今後、中国国内で生産・販売されることになってゆくことになる。米国の「パリ協定」離脱表明を受け、ドイツの自動車メーカーは、中国企業と協力して電動自動車を生産することを宣言している。ガソリン車と違い、EV車はモーターと電池の組み合わせで、IT製品に近いアッセンブリー製品であると見ることができる。中国の得意とする分野になり、大規模な量産効果で、日産のEV車のリーフ360万円の半額程度の180万円で販売可能になると、予測されていいる。世界中からの注文にも対応できて、今後中国が電気自動車の中心になってゆく見方が、案外的を得ているのではないかと考えられます。日本の誇る自動車産業も本腰を入れて電気自動車に集中して、「ヒト・モノ・カネを投入」して遅れを取らない様に頑張って欲しいと思います。


人は竜にはなれない。だが、努力次第で、かぎりなく竜に近い漢(おとこ)になることはできる。“石田三成に過ぎたるもの"と称えられた戦国武将・島左近清興の知られざる生涯を描いた長編小説。大和国を治める筒井家にあって、その剛直ぶりと胆力を認められ、左近は若くして侍大将に取り立てられる。しかし、永禄2年(1559)、梟雄・松永弾正久秀が、柳生宗厳(のちの石舟斎)らを寝返らせて大和に攻め入ってきた。次々に城を落とされて筒井勢は窮地に陥り、あるじ順慶のいる筒井城も孤立してしまう。そんななかにあって、左近は松永勢を追い出すべく、ひとり気を吐くのだが……。
(PHP研究所より)

火坂雅志は、2015年2月に58歳で、急性膵炎のため神奈川県伊勢原市の病院で死去した。この「左近」上巻・下巻が、絶筆となった。骨太の歴史小説家で、好きな作家だったので残念です。2009年のNHK大河ドラマの原作となった「天地人」は、上杉家の家臣、直江兼続を主人公にした物語で、好評でした。今回の物語の主人公「島左近」は、石田三成が三顧の礼で、島左近を迎えれ禄高4万石のうちの半分を与えられるという破格の待遇だった。徳川家康の逸話に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」と同じ様に「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材だった。


本1


天下布武をめざす織田信長に従い、大和国の守護となった筒井家は、明智光秀の寄騎として各地を転戦。しかし、天正10年(1562年)、織田信長が本能寺で光秀によって殺されてしまう。 明智に味方すべきかどうか、去就を決しかねる筒井家にあって、ひとり落ち着いている家老・島左近清興は、しばし静観することを主張。そして、偵察に出た先で山伏を捕捉する。まだ若いその山伏は、「羽柴筑前守秀吉が奏者、石田佐吉三成」と名乗った――。 石田三成との運命的な出会い、あるじ筒井順慶との別れ、さらに、豊臣秀吉の死を待っていたかの如く牙を剥き始める徳川家康。秀吉によって治まったかに見えた天下は、ふたたび風雲急を告げ、“いくさ人”島左近の真価が問われるときがやってきたが……。
(PHP研究所より)


本2


忍者の末裔・流英次郎に率いられる一統は、将軍の密命のもと、何度も共に死線をさまよってきた。すべての密命を果たし終えて、一統は江戸に帰府し、歴戦の疲労をいやしていた。そこへ将軍の新たな密命が下る。将軍自らの城外微行の護衛をせよとの命。早速将軍一行は街へ繰り出し、将軍は「鰻の蒲焼」など庶民の暮らしを堪能する。一行が両国に差し掛かったとき、事件に遭遇する。大道芸人の「叩かれ屋」が客に首を斬り落とされたのだ。一行はすぐに帰城するが、天下泰平を揺るがす事件は、それだけにとどまらなかった。こんどは麹町の大店「弁天堂」の蔵が破られ、三千両もの大金が盗まれる。聞き込みの結果、叩かれ屋殺しの下手人が役者の生島半六に似ていることがわかる。半六は以前、「石川五右衛門」の舞台上で主演の市川團十郎を刺し殺し、それっきり姿をくらました男だ。また、弁天堂の錠前破りも、五右衛門の手口に酷似しているという。なぜ百十余年もしてから、石川五右衛門が関わってくるのか。五右衛門に関係ある者が江戸で何かを企んでいる。不吉な蠢動を英次郎が感じていた矢先、なんと半六の水死体が大川で発見される……。
(講談社BOOK倶楽部より)

森村誠一は、9年間のホテルマン勤務の後に作家になった経歴を持つ。今年84歳になるが、精力的に新作を出している。現代小説でスタートし、最近は時代小説も多く書いている。2011年 に、この 『悪道』で第45回吉川英治文学賞。


本3

趣味の読書 その253 大阪ナンバ道頓堀・ユニークな四体貌柱の紹介!

Category : 読書
大阪ナンバ道頓堀・ユニークな四体貌柱の紹介!
1970年の大阪・千里万博の年に、ナンバ道頓堀に世界中から集まった観光客目当てで「道頓堀ホテル」が開業した。やがて20年の歳月が流れ1991年に、世界中のお客様をおもてなししたいというホテルの想いを込めてユニークな四体の貌の柱が出来た。この像は向かって左から東洋人、アフリカ人、アラブ人、西洋人を表現しており、私自身も初めてホテルの前を通りかかり、そのユニークさに「ギョとした」想い出があります。インバウンドの訪日客で溢れかえる、大阪ミナミの繁華街のすぐ近くにある「道頓堀ホテル」は、今や世界中に広く知られて、ツイッターで2017年5月19日、「四体像」の写真に「大阪のホテルが、ちょっと怖い。w」と添えて投稿されたツイートは、まとめサイトに取り上げられ「シュールですねー」「巨大な彫像のドヤ顔」と反響を呼んでいるらしい。大阪ミナミと言えば、食い倒れ人形や「かに道楽」の巨大な動く松葉ガニやグリコの電光掲示看板など名物な看板が数多くありますが、この「四体貌柱」も決して負けておらず、これから広く話題になりそうな気がします。


四体像


一枚の紙から二羽から百羽近くまで、四十九通りもの折り方がある繋がった千羽鶴“連鶴”。桑名藩に伝わるその折り鶴は女子の遊びではなかった。大政奉還から王政復古へと向かう幕末の動乱の中、親藩・桑名藩士として最後まで生きる道を選んだ速見丈太郎は、商家の婿養子となり「藩を捨ててくれ」と言い残して消えた弟・栄之助に思いを込めて、久方ぶりに連鶴を折った。信じる道が異なろうとも、我らは兄と弟なのだと―。親藩・桑名藩士として身命を賭す兄と商家の婿養子となった弟。幕末維新の激動は、二人に何を問い、いかなる明日を見せるのか?気鋭の女流作家が初めて幕末維新に挑んだ感涙必至の野心作!
(「BOOK」データベースより)

梶/よう子
東京生まれ。2005年「い草の花」で九州さが大衆文学賞を受賞。08年には『一朝の夢』で松本清張賞を受賞し、単行本デビューする。以後、時代小説の旗手として多くの読者の支持を得る。どちらかと言うと、ほのぼのとした時代小説を得意とする作家だが、今回の作品は、幕末の坂本龍馬が暗殺される話から物語が始まる。これまでにないパターンの展開になり、少しイメージが違った。作者は、学生時代に浮世絵や江戸風俗に興味を持ったことをきっかけに、時代小説に興味を持った。今まで読んだ作品の中で、浮世絵師を書いた『ヨイ豊』が良かった。役者絵を得意とした三代目・歌川豊国の娘婿である清太郎が四代目を継ぐ物語でした。


本1


怒れる老人たち、粛々と暴走す。 「年寄りの冷や水とはよく言ったものだ。年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない。年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ」 後期高齢者の老人たちが、テロも辞さず、日本を変えようと立ち上がるという物語のアイデアが浮かんだのは、もうずいぶん前のことだ。その年代の人々は何らかの形で戦争を体験し、食糧難の時代を生きている。だいたい、殺されもせず、病死も自殺もせず、寝たきりにもならず生き延びるということ自体、すごいと思う。彼らの中で、さらに経済的に成功し、社会的にもリスペクトされ、極限状況も体験している連中が、義憤を覚え、ネットワークを作り、持てる力をフルに使って立ち上がればどうなるのだろうか。どうやって戦いを挑み、展開するだろうか。(著者「あとがき」より)
(amazon.co.jpより)

村上龍の小説は、殆んど初めて読みました。彼の作品で思い浮かべるのは『限りなく透明に近いブルー』しかない印象です。テレビ東京の「カンブリア宮殿」で小池栄子と経済人にインタビューしている司会者のイメージが強く、今まで彼の小説は馴染が殆んどなかった状態です。


本2


三月末、北海道東部を強烈な吹雪が襲った。不倫関係の清算を願う主婦。組長の妻をはずみで殺してしまった強盗犯たち。義父を憎み、家出した女子高生。事務所から大金を持ち逃げした会社員。人びとの運命はやがて、自然の猛威の中で結ばれてゆく。そして、雪に鎖された地域に残された唯一の警察官・川久保篤巡査部長は、大きな決断を迫られることに。名手が描く、警察小説×サスペンス。
(新潮社より)

佐々木 譲
1950(昭和25)年、北海道生れ。1979年「鉄騎兵、跳んだ」でオール讀物新人賞を受賞。1990(平成2)年『エトロフ発緊急電』で、山本周五郎賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。2002年『武揚伝』で新田次郎文学賞を受賞。2010年、『廃墟に乞う』で直木賞を受賞する。著書に『ベルリン飛行指令』『ユニット』『天下城』『笑う警官』『駿女』『制服捜査』『警官の血』『暴雪圏』『警官の条件』『地層捜査』『回廊封鎖』『代官山コールドケース』『憂いなき街』『犬の掟』などがある。


本3

第6回ミニ同窓会 但馬地方(竹田城・餘部鉄橋)への旅

Category : 旅行
恒例になっているミニ同窓会の旅で、兵庫県・但馬地方へ日頃の行いが良いせいか梅雨の晴れ間の6/23-24で行って来ました。古希を迎える今年は海外旅行も良いのではと第一候補として、台湾一周旅行の話がありましたが現役でバリバリ働いているメンバーがいて、3泊4日は仕事の絡みで無理だと言う事で没になりました。第二候補で2泊3日の国内旅行の沖縄説も出ましたが、全員の日程が合わずに近場の兵庫県の但馬地方(湯村温泉・泊)になりました。

竹田城

マスコミに取り上げられてから一躍全国的に有名になった、天空の城「竹田城」。晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっている。この雲海に包まれた姿は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、いつの間にか「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになった。兵庫県朝来市(あさごし)和田山町にある竹田城は、映画「天と地と」のロケが行われた事でも有名になり、別名、虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれ、縄張りが虎が臥せているように見える事に由来する。標高353.7メートルの山城で、1431年(永享3年)に山名宗全が築城したと伝えられている。

但馬1

但馬2

山頂の天守閣の跡。

但馬4

樹齢300年以上と言われる老桜が群生していて、秋の風景を撮った看板があった。

但馬5

但馬の小京都と呼ばれ、幕末には「桂 小五郎」が隠れ潜んだ出石。碁盤の目の様な街並みは、江戸時代の面影を色濃く残している。1706年(宝永3年)に信州から仙石氏がお国替えで入国した際に、そば職人達を連れて来てその技法が、出石そばの誕生となった。挽きたて打ち立ての「ゆがきそば」を小皿に盛る様式で、現在約50軒ものそば屋がある、関西屈指のそば処になった。今回は「そば庄」で、10皿食べました。

但馬6

吉永小百合をモデルにした「夢千代」像で有名な湯村温泉。その中の「三好屋」に宿泊しました。1泊2日で、到着後から寝るまでに3回。朝食前に1回と計4回の温泉を満喫しました。

但馬7

あくる朝は前日に引き続き快晴で、国の名勝、天然記念物に指定され(1928年)「日本百景」、「日本の白砂青松百選」、「日本の渚百選」、「平成にっぽん観光地百選」などに選ばれている日本海沿岸の自然景勝地である「浦富(うらどめ)海岸」です。

但馬8

但馬9

但馬10

1986年(昭和61年)日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ高さ41mから転落事故があり、重量のある機関車が転落を免れたが、回送列車である為に乗客は乗っていなかった客車7両が転落して、車掌1名と鉄橋の下に有ったカニ加工場のパート5名が下敷きになって計6名の死者がでたと言う、「余部鉄橋」転落事故がありました。

但馬11

余部鉄橋の主桁モニュメントが、設置されていた。

但馬12

今話題のJR西日本が誇る「瑞風」を撮影した看板です。

但馬13

余部鉄橋跡を歩くことができます。ただ今は、高さ41mの急勾配の上り坂が大変な為、観光客向けにエレベーターで上がれるように工事中で歩けなかった。

但馬14

余部駅の駅名表示の看板。明治45年の鉄橋の開通から昭和34年まで駅がなく地元の人々の待望の「餘部駅」が誕生した歴史がある。

但馬15

新しい余部橋梁は、平成22年鉄橋からコンクリート橋に付け変えられ、同年8月12日から運用が開始された。前の余部鉄橋同様に「空中列車」としての眺望も人気があり、1時間に1本の列車が通るのを待って、写真撮影をしました。

但馬16

兵庫県香美町観光商工課によると、展望施設「空の駅」(同町香住区余部)に新設するエレベーターは15人乗り。地上41メートルの「空の駅」まで約45秒で到達し、利用客が日本海の景色をゆっくりと眺めることができる。完成は2017年9月予定。

但馬17

ミニ同窓会旅行の主旨である、カラオケと楽しく豪華な飲食と温泉三昧。に則って但馬の湯めぐり、最後にお肌にやさしい弱アルカリ性重曹泉で美人湯が売り物の出石温泉「乙女の湯」に浸かり今回の旅行の〆となりました。

但馬18

第一回のミニ同窓会旅行から、早くも今年で第6回を数える様になりました。第一回目は、参加者8名でスタートしましたが、1名が3回目の旅行前に「肺がん」で亡くなり、今年は1名が、出発日一週間前に庭木の剪定中に脚立から落ちて腰を打ち、歩けなくなり不参加。もう1名は病気になり来られず、あと1名は現役で仕事が忙しく、第一回ミニ同窓会旅行から見ると半分の4名での旅行になりました。古希を迎える年齢になり、いつまで元気で旅行できるかは分かりませんが、体の動ける間に、ミニ同窓会旅行を続けていきたいと、参加者全員で再確認をしてお開きとなりました。

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