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ホンブチョウ

Author:ホンブチョウ
1947年生まれ、趣味が読書の
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5年ぶりの東京と、日光東照宮への旅

Category : 旅行
5年ぶりの東京と、日光東照宮への旅
2014年から5年ぶりの、東京へ行って来ました。今回は2泊3日の旅で、当初は箱根へ行く予定が、台風19号の豪雨で1000mの雨が降り、箱根登山鉄道の線路のノリ面が複数個所、崩れて不通になり、第2案だった日光東照宮に変更しました。1日目は横浜在住の息子と、家族3人で口コミランキング上位だった「横浜大飯店」にて、中華料理を堪能しましたが関西人の舌には、同じ中華料理でも関東風の辛口の味付けの為、ホテルに帰ってからしきりに口が渇きました。2日目の朝から、東武鉄道リバティけごん11号に乗って日光に着きました。

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2017年3月、国宝「陽明門」が44年ぶり、4年間をかけた大修理され甦った。日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社。現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替された。「日光を見ずして結構と言うなかれ」との格言があるほど見所が多いが、その中心となる「陽明門」。

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かの有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿。

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上神庫の妻(側面)に狩野探幽作といわれる2頭の象

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左甚五郎の作と言われている「眠り猫」

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日光東照宮には4時間くらい居て、夕刻に始発駅の「浅草」に戻って来て夕食です。

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最終日の3日目は、あいにくの雨で足場の悪い中、母校?(本当は関大)の東大へ行き、加賀百万石の御守殿門だった「赤門」。加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は、文政10年に11代将軍徳川家斉(いえなり)の娘溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎え、その際に建立された御守殿門。

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新左翼運動が活発だった頃、東大安田講堂に立てこもり、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件で全国的に一躍有名になった「安田講堂」。

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以前から興味のある、大正ロマンの代表的画家「竹久夢二」の美術館が、東大の弥生門の出たところにあるので、見に行きました。

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中学生の修学旅行以来、57年ぶりに訪れた、東京タワー。折角の展望が雨で、ほとんど見えなかった。

タワー

1965年と現在の、展望写真が興味深かった。

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高所恐怖症では、ないが流石に足元から下が素通しの強化ガラスの上では、足が竦みました。

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1日目と2日目は、天候に恵まれましたが、生憎3日目は本ぶりの雨で観光がダイナシでした。それでも、久しぶりに訪れた東京は、人の多さと外国人の多さは、大阪の比ではなかった。とにかく、人口密度の高さが身をもって感じられ圧倒される思いを受けました。来年は東京五輪で、今年以上のインバウンドで益々賑やかになる事が必死ですが、あまり増えすぎると、京都の市民生活が脅かされ地元民が市バスにも乗れない状況と同じような事例が、東京の各所で起きる気がします。政府が4000万人の目標数字を掲げていますが、今回の旅行でも、ラグビーW杯の準決勝が横浜であり、電車も満員でした。次はいつ東京に行けるかは、全く未定ですが体の動ける間に、また変化の激しい東京を見たいと思っています。

第7回ミニ同窓会旅行 加賀・白川郷への旅

Category : 旅行
第7回ミニ同窓会旅行 加賀・白川郷への旅
毎年、恒例になり7回目となった高校のミニ同窓会旅行で、梅雨の晴れ間の絶好の天気にも恵まれ、6/17-18と金沢方面に行って来ました。数えたら早くも7回目となり、初回の岡山旅行には8名参加が、今回は5名(1名は肺がんで亡くなった)となりました。その昔に、営業で6年間北陸を担当したこともあり、特に金沢には思い入れが強くあります。加賀百万石の名残が随所に見られ、何とも言えない雰囲気が、大好きな街でした。最近は、北陸新幹線の開通とともに、観光客に大人気となって外国人(特に目立つのは中国人)観光客が以前よりも何倍もの数で、圧倒されました。今回の旅行では、全員古希を迎えボケ?が始まって来たせいか、ホテルのカギを失くしたやら、靴箱のキーがないと騒いだり、私自身もブログ様に写真を撮りだめたカメラを金沢駅構内で忘れたり、テンヤワンヤのドタバタ劇が随所にあり、いづれも全て思い違いが原因で、全部物が出てきて解決しました。歳は取りたくないものだと痛感し、今年がこれなら、来年の旅行は今回以上のハプニングのドタバタ劇が十分懸念されます。二日目の朝ホテルで、バイキングの朝食を取っていると、大阪で震度6弱の大地震が発生したのとニュースが報じられて、ビックリしました。帰りの高速のルートを変更して無事帰阪しました。


金沢観光のテレビ宣伝で、全国的にも有名になった金沢駅の「鼓門」。

鼓門

敦賀湾を一望できる、北陸自動車道の杉津パーキングエリア。夕日が水平線に沈む頃は、カップルたちには外せないデートスポット。

金1

金2

テレビの「ケンミンショー」で紹介される、福井県民のソウルフード「ソースかつ丼」。創業100年以上の老舗「ヨーロッパ軒」久しぶりに味わいましたが、美味しかった。

金3

東京の旧制一高、京都の三高に次いで第四高等中学校が設立された、通称四高。明治26年(1893)から約60年間、旧制高等学校(中学校)として使用された歴史をもつレンガ造りの建物。

金4

エリートである、旧制高校生の弊衣破帽。着古し擦り切れた学生服・マント・学帽(=破帽)・高下駄、腰に提げた手拭い、長髪などを特徴とするスタイル、バンカラとも呼ばれた。

金5

金沢観光には欠かせない「兼六園」。加賀藩主の前田侯の林泉回遊式大名庭園。

兼六園

徽軫灯籠(ことじとうろう)。兼六園のシンボルとしてよく知られ、観光写真でも度々登場する2本脚の灯籠。水面を照らすための雪見灯籠が変化したものです。形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、その名が付いたと言われています。二股の脚は元々同じ長さでしたが、何かの原因で折れてしまい、石の上に片脚を乗せてバランスを保っています。手前に架かる虹橋と傍らのモミジの古木との三位一体となった風景はとても絵になり、多くの観光客がここで記念撮影を行っています。

金6

金7

兼六園には、冬景色が一番似合う。金沢の冬の風物詩である雪吊りは、北陸地方特有の重い雪から木の枝を守るために施されている。

雪の兼六園


兼六園に隣接している金沢城の石川門。搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門でした。 2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられたものです。白く見える屋根瓦には鉛を使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。

金8

本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されています。安政5年(1858)の築で、現在の長さは26間半です。

金9

浅野川大橋。藩政時代からの交通の要所にあり、現国道157号線上、浅野川に架かる橋長55m、幅員17mの鉄筋コンクリート造3連充腹アーチ橋です。水面に影が映り、めがね橋になっています。

金10

ひがし茶屋街。卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。

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金沢観光のテレビ宣伝で、よく見かける街並です。

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旅行2日目は、合掌造りで有名な白川郷。1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

白川郷

白川郷1

白川郷2

白川郷の全景です。

白川全景

合掌造りのお店で、手打ちそばのランチです。

白川1

屋根の形が合掌した時の手の形に似ていることから「合掌造り(がっしょうづくり)」と呼ばれ、屋根の角度は45~60度の急勾配で雪が降っても自重で落ちるように工夫されている。

白川2

白川3

茅葺屋根の葺き替えは30年~40年に1度。その作業中です。

白川4

白川5


ボケ老人の集団みたいな、ドタバタ劇の旅行になってしまった感が強かった今年の旅行でした。歳と共に、体や頭の衰えは、顕著になってきており、75歳の後期高齢者の年までは元気に、半世紀以上の付き合いのある同級生と旅行を楽しみたいと願っています。帰る日に大阪の北部大震災(震度6弱)が発生して、交通機関が乱れて自宅の西宮まで帰れるか心配をしました。止まっていたJR宝塚線をあきらめて阪急電車で振替、あとはバスを乗り継いでなんとか、大阪市内から3時間がかりで無事帰宅できました。何年か後に、大阪の大地震の日に旅行をした事が、想い出として残ると思いました。


第6回ミニ同窓会 但馬地方(竹田城・餘部鉄橋)への旅

Category : 旅行
恒例になっているミニ同窓会の旅で、兵庫県・但馬地方へ日頃の行いが良いせいか梅雨の晴れ間の6/23-24で行って来ました。古希を迎える今年は海外旅行も良いのではと第一候補として、台湾一周旅行の話がありましたが現役でバリバリ働いているメンバーがいて、3泊4日は仕事の絡みで無理だと言う事で没になりました。第二候補で2泊3日の国内旅行の沖縄説も出ましたが、全員の日程が合わずに近場の兵庫県の但馬地方(湯村温泉・泊)になりました。

竹田城

マスコミに取り上げられてから一躍全国的に有名になった、天空の城「竹田城」。晩秋のよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、但馬地方の風物詩となっている。この雲海に包まれた姿は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、いつの間にか「天空の城」・「日本のマチュピチュ」とも呼ばれるようになった。兵庫県朝来市(あさごし)和田山町にある竹田城は、映画「天と地と」のロケが行われた事でも有名になり、別名、虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれ、縄張りが虎が臥せているように見える事に由来する。標高353.7メートルの山城で、1431年(永享3年)に山名宗全が築城したと伝えられている。

但馬1

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山頂の天守閣の跡。

但馬4

樹齢300年以上と言われる老桜が群生していて、秋の風景を撮った看板があった。

但馬5

但馬の小京都と呼ばれ、幕末には「桂 小五郎」が隠れ潜んだ出石。碁盤の目の様な街並みは、江戸時代の面影を色濃く残している。1706年(宝永3年)に信州から仙石氏がお国替えで入国した際に、そば職人達を連れて来てその技法が、出石そばの誕生となった。挽きたて打ち立ての「ゆがきそば」を小皿に盛る様式で、現在約50軒ものそば屋がある、関西屈指のそば処になった。今回は「そば庄」で、10皿食べました。

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吉永小百合をモデルにした「夢千代」像で有名な湯村温泉。その中の「三好屋」に宿泊しました。1泊2日で、到着後から寝るまでに3回。朝食前に1回と計4回の温泉を満喫しました。

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あくる朝は前日に引き続き快晴で、国の名勝、天然記念物に指定され(1928年)「日本百景」、「日本の白砂青松百選」、「日本の渚百選」、「平成にっぽん観光地百選」などに選ばれている日本海沿岸の自然景勝地である「浦富(うらどめ)海岸」です。

但馬8

但馬9

但馬10

1986年(昭和61年)日本海からの最大風速約 33 m/s の突風にあおられ高さ41mから転落事故があり、重量のある機関車が転落を免れたが、回送列車である為に乗客は乗っていなかった客車7両が転落して、車掌1名と鉄橋の下に有ったカニ加工場のパート5名が下敷きになって計6名の死者がでたと言う、「余部鉄橋」転落事故がありました。

但馬11

余部鉄橋の主桁モニュメントが、設置されていた。

但馬12

今話題のJR西日本が誇る「瑞風」を撮影した看板です。

但馬13

余部鉄橋跡を歩くことができます。ただ今は、高さ41mの急勾配の上り坂が大変な為、観光客向けにエレベーターで上がれるように工事中で歩けなかった。

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余部駅の駅名表示の看板。明治45年の鉄橋の開通から昭和34年まで駅がなく地元の人々の待望の「餘部駅」が誕生した歴史がある。

但馬15

新しい余部橋梁は、平成22年鉄橋からコンクリート橋に付け変えられ、同年8月12日から運用が開始された。前の余部鉄橋同様に「空中列車」としての眺望も人気があり、1時間に1本の列車が通るのを待って、写真撮影をしました。

但馬16

兵庫県香美町観光商工課によると、展望施設「空の駅」(同町香住区余部)に新設するエレベーターは15人乗り。地上41メートルの「空の駅」まで約45秒で到達し、利用客が日本海の景色をゆっくりと眺めることができる。完成は2017年9月予定。

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ミニ同窓会旅行の主旨である、カラオケと楽しく豪華な飲食と温泉三昧。に則って但馬の湯めぐり、最後にお肌にやさしい弱アルカリ性重曹泉で美人湯が売り物の出石温泉「乙女の湯」に浸かり今回の旅行の〆となりました。

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第一回のミニ同窓会旅行から、早くも今年で第6回を数える様になりました。第一回目は、参加者8名でスタートしましたが、1名が3回目の旅行前に「肺がん」で亡くなり、今年は1名が、出発日一週間前に庭木の剪定中に脚立から落ちて腰を打ち、歩けなくなり不参加。もう1名は病気になり来られず、あと1名は現役で仕事が忙しく、第一回ミニ同窓会旅行から見ると半分の4名での旅行になりました。古希を迎える年齢になり、いつまで元気で旅行できるかは分かりませんが、体の動ける間に、ミニ同窓会旅行を続けていきたいと、参加者全員で再確認をしてお開きとなりました。

第5回ミニ同窓会 伊勢・鳥羽への旅

Category : 旅行
第5回ミニ同窓会 伊勢・鳥羽への旅
5月末に行われた、G7伊勢志摩サミットで今話題になっている三重県伊勢地方へ、毎年恒例になった第5回目のミニ同窓会で梅雨の合間となった7/10~11の日曜日・月曜日に行って来た。参加メンバー達の日頃の行いが良いせいか、旅行日の前後に雨模様だったが、当日2日間は見事に晴れ渡り、2日目などは35度の猛暑日で、今年初めてかき氷を食べて来た。小学校の修学旅行で行って以来の二見ヶ浦の夫婦岩も57年ぶりに目にする事が出来て、いつも通りのワイワイと賑やかな愉快な楽しい旅でした。

1日目の最初の観光地が、忍者で有名な伊賀市の観光です。

伊勢1

伊賀上野は、「俳聖」と呼ばれた松尾芭蕉の故郷でもあり29歳まで育った。本名は松尾忠右衛門宗房(むねふさ)。松尾芭蕉生誕300年を記念し、上野公園の敷地内に昭和17年(1942)に建立された「俳聖殿」。

伊勢2

慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って17の城を手掛けた築城の名手として名高い、藤堂高虎が拡張した。伊賀上野城で、その石垣は日本1、2の高さ(約30m)を誇る。

伊勢3

小学校の修学旅行で訪れて以来、半世紀ぶりに見る懐かしい二見ヶ浦の「夫婦岩」。

伊勢4

夫婦岩のある場所は、二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)で、御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。境内には、猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)が多数奉納されています。

伊勢5

ここにも、別のカエルの親子バージョンがあります。

伊勢6

干潮の為か、いつも見慣れている海の中の「夫婦岩」でなく、少しイメージが違った。

伊勢7

夫婦岩に張り替えられる大注連縄を奉曳車に載せて二見興玉神社へ奉納する伝統行事です。木遣り唄、二見太鼓などを披露しながら、夫婦岩の旅館街を練り歩きます。

伊勢8

宿泊した鳥羽の高台にあるホテルの部屋から、歌手の「鳥羽一郎」で有名になった鳥羽の漁港を撮りました。

伊勢9

2日目は、サミットで世界の主要国の大統領や首相がお参りした、「内宮」からスタートです。皇室の御祖先の神である天照大御神がお祀りされています。垂仁天皇の26年(紀元前4年)に、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上にご鎮座された『日本人の総氏神』です。

伊勢10

宇治橋【うじばし】。聖界と俗界との架け橋といわれる宇治橋は、五十鈴川に架けられた全長101.8mの純日本風木造反り橋。宇治橋の外側と内側に立つ鳥居は、外宮・内宮それぞれの旧御正殿の棟持柱(むなもちばしら)が使われています。

伊勢11

オバマ大統領や、ドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領などが45日前に渡った橋です。

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「内宮」の案内図です。

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「手水舎」。ここでは、手を洗い口をすすぎ身も心も清めてお参りの準備をします。お手水(おちょうず)の仕方は、柄杓に水を汲んで、左右の手を洗い清め、次に左手の手のひらに水を受けて、口をすすぎます。

伊勢14

御正殿【ごしょうでん】「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)という日本古来の建築様式を伝える御正殿。屋根は萱葺きで、10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端が水平に切られた4本の千木(ちぎ)が高くそびえています。写真撮影は、石段の下からしか許可されていませんので、少し遠景の写真になりました。

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おかげ横丁は、第61回神宮式年遷宮の年、1993年(平成5年)7月16日に、伊勢神宮内宮門前町「おはらい町」の中ほどで、お伊勢さんの「おかげ」という感謝の気持を持って開業しました。

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月曜日で、平日の午前中なので比較的空いている街並み。土日は人ごみで満員になり歩きにくい様です。

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明治43年の創業以来、100余年になる「岩戸屋」の看板娘の名物「お多福」。年月の重みが滲み出ている様です。

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運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である有限会社伊勢福が行う。 おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている。

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「赤福本店」。猛暑日の暑さに悲鳴を上げ、名物の赤福入りの宇治かき氷を求める人でゴッタ返している店内で今年初めてのかき氷を食べ、汗が一度に引いて行きました。

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おかげ座「神話の館」。『神話シアター』では、大型スクリーンにて、神話のあらまし(国生みから天孫降臨まで)をアニメーションも入れながら分かりやすく紹介しています。原初の森をイメージしたドーム空間『神話の森』では、神話の6つの名場面を和紙人形などで展示しています。森を抜けたところでは、天照大御神を伊勢に導いたといわれる倭姫命(やまとひめのみこと)の物語を上映。
10数年前に一度見ましたが、内容が変わっていました。

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今回も、無事5回目の高校時代の仲良しグループ「ミニ同窓会」を終え、早くも話題は、来年全員が迎える『古希』の記念になる様な旅行がしたいと、盛りあがりました。海外旅行も良いのでは・・・との声が多く第一案として「台湾旅行」で検討する事になり、今から楽しみにして来年の『古希』を迎える事になりそうです。参加メンバーが、お互いに健康に気を配りながらまた、楽しい旅行が出来たらいいなぁと思っています。

2年ぶりの、南紀勝浦(バス)旅行

Category : 旅行
2年ぶりの、南紀白浜・勝浦旅行
高校の同窓会の旅行で、南紀へ行ってから同じコースを辿るバスツアーに行って来た。高校入学から50年以上の付き合いの親友のT君が、経営するカメラ店が開店40周年記念旅行のバスツアーです。以前は毎年の様に写真撮影バスツアーを開催していたらしいが、今回は5年ぶりのバスツアーになる。店のお客さんと高校の同窓生4名も参加して、総勢25名の旅行だった。T君も頑張って40年立つのかと思うと、感慨深いものがある。出発早々から、バスの後部座席での宴会が始り、小生もその輪に入って、ワイワイやりながら高速道路を一路、白浜を目指しました。

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快晴の白浜の「とれとれ市場」で昼食と、休憩タイム。

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三段壁(さんだんべき)は和歌山県西牟婁郡白浜町三段にある自然景勝地(崖)であり、直立する長さ2km、高さ50m - 60mに及ぶ柱状節理の大岩壁で、断崖絶壁の名勝として知られる。今は減ったものの、飛び込み自殺の名所として、福井の「東尋坊」と共に全国的にも有名な場所だった。

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今回、高校の同窓生と共に、参加してくれたN君。彼は大学の体育会クラブの同期で名マネジャーだったが、T君のカメラ店とは小生の紹介で、仕事上の関係があり毎年恒例の、彼の取引先関係の忘年会をキャンセルして、参加してくれた。

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橋杭岩(はしぐいいわ)は、和歌山県東牟婁郡串本町にある奇岩群。大小約40の岩が南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって連続してそそり立っている。直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。

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平成11年9月8日に開通した、串本本土と大島をつなぐ架橋。290mのアーチ橋と、苗我島に架かる386mのループ橋からなる。橋の上から見える風景が素晴らしく、窓を全開にして走ると爽快な気分に。大島側の橋のそばにはポケットパークもあり、本州最南端の入り組んだ海岸地形がじっくり眺望できる。 自然との調和を尊重した島影を思わせる緩やかな放物線を描くアーチが特徴です。(串本町観光協会より)昔、営業担当で和歌山県に出張していた時には無かった串本大橋。「ここは串本 向かいは大島 中をとりもつ 巡航船」と歌われた巡航船も御用済みになったようです。

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今夜のお泊まりは、前回と同じ「ホテル浦島」。桟橋とホテルを行き来する渡し船からパチリ。

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「ホテル浦島」自慢の温泉が6ケ所あり、一番有名な「忘帰洞」に入り日頃の疲れを取りました。

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灯台の左上に見える建物も、「ホテル浦島」で今回は、海抜80メートルの山頂に立つ山上館33Fにある「遙峰の湯」に入りました。

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「那智大滝〈なちのおおたき〉」。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』になっている。

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那智の滝の源流。

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落ち口の幅13メートル、滝壺までの落差は133メートルに達し、一段の滝としては落差日本1位。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。毎年、正月前に神官が一番上にある、注連縄を張り変える作業風景を、テレビで中継する。

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透明度の高い澄んだキレイな滝壷の水。

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熊野那智大社の案内図。

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2年前に訪れた時は、台風の爪痕が至る所に残っていて、滝の下にも復旧作業用の巨大クレーンがあったが、今回はなかった。

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青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三所第一番札所。山上から写真の三重塔越しに那智の滝を撮った写真が有名である。

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2日間、愉快なバスツアーでした。高校の同窓生も含め、カメラ店のお客さん達も充分満足のいく旅行になり、80歳代の年配の夫婦で参加していた奥さんと、帰りのバスで話をしたら、冥土の良い思い出が出来たと喜んでいました。主催側のT君も帰りのバス車内では、気づかれの為か「爆睡」してましたが、開店40周年記念旅行の大成功を共に祝いたいと思いました。T君「おめでとう!」これからも、2代目の長男と3代目(小学5年生の孫)とカメラ店が繫栄するよう応援してゆきたいです・・・。


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