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ホンブチョウ

Author:ホンブチョウ
1947年生まれ、趣味が読書の
団塊の世代です。
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鞆の浦・尾道への旅

Category : 旅行
大学時代の、体育会クラブのメンバー4名で、広島県・備後地区に小旅行に行って来た。同期のS君が福山市で活躍しており、彼が「前立腺がん」で元気がないと言う事を聞いたので、励ましと旧交を温めに山陽道をひた走って、会いに行った。彼の顔を見るのは、1990年に広島県を営業担当していた時以来なので、約25年ぶりの再会になる。想像していた以上に、元気でS君曰く「抗がん剤を止めてから、元気になった」との事だった。初日の夜は、億単位の年収があると豪語する彼の世話で、1次会の飲食から2次会・3次会のクラブまで、すっかり『おんぶにだっこ』になり、散財させてしまった。お互いに若かった体育会の現役時代の「想い出話」に花が咲き、話題は尽きる事がなく、気がついたら日付変更線を超えてしまい、零時半でお開きになり楽しい夜を過ごした。


初日の、広島県福山市の観光名所「鞆の浦」。昔読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」以来ファンになった『坂本 龍馬』に会いに行った。

鞆1

潮の香りと史跡を訪ねて、1867年鞆沖で沈んだ龍馬と海援隊の船、いろは丸の引き揚げ物、龍馬のかくれ部屋、沈没状況のジオラマ等を江戸期に建てられた太い梁など堂々たる建物、鞆の町では「大蔵」と呼ばれている蔵の中に展示しています。
(福山観光協会より抜粋)

鞆2

いろは丸展示館の横にある、鞆の浦名物の江戸時代の灯台で灯籠燈(とうろうどう)とよばれている。高さが11mもあり、港の常夜灯としては日本一らしい。

鞆3

坂本龍馬の写真としては、一番有名な写真。

鞆4

日本の最初の株式会社と言われた「亀山社中」(のちの海援隊)。その当時の長崎港の写真で龍馬の土佐弁が面白い。

鞆5

いろは丸の沈没調査の図面。

鞆6

龍馬が、京都伏見の「寺田屋」で襲撃された時に、使用したとされるピストルのレプリカ。

鞆7

司馬遼太郎によると、龍馬がおりょうを連れて、西郷の招きで薩摩を訪れたのが、日本における「新婚旅行」の始まりとされる。

鞆8

高知城築城400年祭の時の、「龍馬まつり」のポスター。

鞆9

いろは丸事件とは、1867年5月26日(慶応3年4月23日)23時頃に伊予国大洲藩所有で海援隊が借り受けて長崎港から大坂に向かっていたいろは丸と、長崎港に向かっていた紀州藩の軍艦・明光丸が備中国笠岡諸島(現在の岡山県笠岡市)の六島付近で衝突した海難事故。土佐の後藤象二郎も参加した、損害賠償談判で紀州藩が負けて8万3000両(後に7万両に減額)を支払う事になった。ある一説によると、この事が尾を引いて坂本龍馬暗殺事件の陰に、紀州藩がいた、と言う話がある。

鞆10

「海援隊」とは幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した組織である。1865年から1868年まで3年余りに亘り、私設海軍・貿易など、薩摩藩などからの資金援助も受け、近代的な株式会社に類似した組織、商社活動としても評価されている。海援隊員の資格は、脱藩藩士である事で浪人を集めて龍馬が作った。これに対して、土佐の中岡慎太郎が作った「陸援隊」は、尊皇攘夷の思想を持つ脱藩浪士などが集められ、総員は70名以上であった。

鞆11

2日目は、朝から快晴で天候にも恵まれ尾道観光した。

尾1

千光寺山ロープウェイ乗り場。往復の乗車券を買い求めたら、下りは徒歩で降りた方が、千光寺や「文学のこみち」などを見られて良いですよとの、アドバイスで片道切符に変更した。

尾2

途中で、下りロープウェイとすれ違った。

尾3

尾道水道の遠景を撮ったが、「趣味の読書」用で図書館の本を撮る為に買った安物デジカメなのか、ピントが甘い。

尾4

四国愛媛・今治と広島・尾道を結ぶ全長約70kmの瀬戸内しまなみ海道には、日本で初めての海峡を横断する自転車道(瀬戸内海横断自転車道)があり、最初の新尾道大橋。

尾5

尾道市街と向島。

尾6

千光寺山山頂の展望台前にある、広島県出身の彫刻家、圓鍔勝三(えんつば かつぞう)の「あけぼの」という像。

尾7

四国・今治までに7つの橋がある「しまなみ海道」。それぞれの島の観光名所の案内地図。

尾8

「文学のこみち」は、千光寺山頂(ロープウェイ山頂駅)から、途中千光寺敷地内を通り、千日稲荷まで続く全長約1kmの遊歩道。道沿いの自然の巨石に尾道ゆかりの作家・詩人による作品を刻んだ25基の石碑(文学碑)が立つ。尾道ゆかりの林芙美子の紹介文。

尾9

世界最大の旅行・口(くち)コミサイト「トリップアドバイザー」の日本の展望スッポト2014で、千光寺が第5位になった。

尾10

尾道ラーメン、口(くち)コミサイト人気No.1「朱華園(しゅうかえん)」の行列。2時間待ちは当たり前と言われ、同行のN君が食べたくて楽しみにしていたが、諦めて昼食は、「広島焼き」のお好み焼きに変更になった。

尾11

尾道一番街(商店街)アケード入口にある「林芙美子」像。幼少時代に尾道で過ごした彼女は、生涯尾道を愛したと言われている。

林芙美子-s

25年ぶりに訪れた、広島県の備後地区は余り変わっていなかった。しかし尾道商店街は、全国と同じ様なシャッター通りになっていて、寂いしい思いをしました。懐かしい同期のS君との再会に行きながら、初日の夜の3次会まで全て彼のオゴリになって、金銭的にもお世話になってしまい、心苦しく思いながら4人で再会を期して、帰阪しました。



第4回ミニ同窓会 南九州の旅

Category : 旅行
南九州・温泉と観光の旅
毎年恒例の、ミニ同窓会旅行で今年は、終身幹事長であるT君の生まれ故郷である鹿児島(薩摩弁でカゴンマ)に6月12日から15日の3泊4日(往復船中泊2泊を含む)で行って来ました。彼とは50年来の長い付き合いで、高校1年の夏休みに、彼の祖父母の居る「薩摩川内」へ友人7~8名で10日間遊びに行って以来の鹿児島です。前2回参加したY君は、惜しくも先月末に肺ガンで死去し、通夜には同窓生10名以上集まりました。スポーツ万能で鳴らした彼が、こんなに早く死去する事は夢にも思いませんでした。高校2年生だった東京オリンピックの年に、「聖火」が日本全国をリレー形式で回った時、Y君が選ばれて地元を走った事が昨日の様に、想い出されました。残念の一言に尽きます・・・。旅行は、梅雨時と言う事もあり天候には、恵まれませんでしたが、今年も愉快な仲間たちとの楽しい温泉旅行を満喫して来ました。

「フェリーさんふらわあ」の大型船で往復しました。行きは、大阪南港17:55発 鹿児島・志布志翌朝8:55着。四国沖の外海を走る為約15時間の旅。帰りは、大分県の別府18:45発 大阪南港翌朝6:35着。瀬戸内海を約12時間の旅でした。

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船1

今回の、一番楽しみにしていた指宿の先にある、山川温泉「砂蒸し風呂」。通常10分程度熱い砂を被るのを、20分我慢していると、体の内部からジワーと汗が染みだしてきます。砂浴で指圧効果が働き血行がとても良くなり、 まさに心身ともにリフレッシュできる為、一緒にいた仲間は、肩の痛みが取れた喜んでいました。

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sunaburo

大隅半島の根占から対岸の薩摩半島の指宿市山川へ渡る「フェリーなんきゅう」船内のポスター。

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阿蘇五岳の一つ、鳥帽子岳に湧く地獄温泉「清風荘」に泊まり、5つの温泉「すずめの湯」「元湯」「新湯」「露天岩風呂」「仇討の湯」を満喫して来ました。200年以上の歴史があり、江戸時代には、熊本藩士のみに入浴が許されたという格式のある温泉。傷ついた体を癒す秘湯として名高く、気に入って何度も訪れる人が多い事でも知られる。

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清風荘-s

玄関前にある、イノシシの親子のはく製。

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高千穂の案内図。

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高千穂から熊本へ抜ける予定の九州横断鉄道(工事中止)のトンネルを、神楽酒造が焼酎の原酒貯蔵庫として5千本以上を貯蔵、無料で見学できます。「トンネルの駅」として観光スポットにもなっている。

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皇族のお召し列車の説明写真。

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宮崎県高千穂町にある「トンネルの駅」に展示されているSL。

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高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった渓谷。高いところで100m,平均80m断崖が東西に7Kmも続いている。

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何故か、高千穂峡の池にキャビアで有名な「チョウザメ」が泳いでいました。

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日本神話においては、ニニギの天孫降臨の地とされている。またアマテラスがこもったとされる天岩戸が町内にあると言う伝説がある。神話の里「高千穂」

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阿蘇山の噴火警戒レベルは2に引上げられており、火口周辺1km以内は立入禁止になっていて、ロープウエイも運休していた。

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熊本県に行くと、どこにでも見られる「クマモン」。

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孝霊天皇9年の創建、肥後国一の宮、旧官幣大社。阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をまつる由緒ある神社で、末社は全国500社を超える。全国的にも珍しい横参道で、境内には願いごとを叶えてくれる「願かけの石」や縁結びにご利益がある「高砂の松」、西本清樹の歌碑がある。

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お土産に買った、西郷どん(薩摩弁でセゴドン)サブレ。

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子供の頃食べた記憶にある「兵六餅」。懐かしさのあまり買ってしまった。商品名の謂れは、創業者が鹿児島の郷土文学で毛利正直著作の「大石兵六夢物語」に因んで付けた。箱に描かれている浮世絵風のイラストは、大蛇退治に立ち向かう薩摩兵児(へこ)である。

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今回の旅行も、無事終了し早くも来年はどこへ行こうかと、盛り上がった。体が元気なうちに海外旅行もいいな!という声も多く出て、70歳の古希に「台湾」若しくは、「タイ」も良いのではないかと次回以降の旅の話は尽きる事無く、お開きになりました。

4年ぶりの 東京散歩

Category : 旅行
4年ぶりに、東京観光に行って来ました。前に行った時に建設途中だった
スカイツリーはその時の高さが497mの表示があったのを思い出します。
前回のホテルは、「浅草ビューH」でしたが、今回はプロ野球のドラフト
会議があった「新高輪プリンスH]でミス・インターナショナルコンテスト
が開催されており、朝ロービーでは、長身の美女がウジャウジャとたむ
ろしていて、目の保養にはなりました。前回行った新宿・渋谷など
表観光ルートは避けて、両国・泉岳寺・谷中などのどちらかと言うと
裏観光ルートを見て来ました。円安の性か、どこに行っても外国人が
多く、特に中国人の多さにはビックリで、「四面楚歌」ではないが「四面
中国語」状態でした。

東京1

初日は、曇り空で日曜日だった性か「ソラマチ」は大勢の人々で賑わっていました。

ソラマチ

国技館の隣にある「江戸東京博物館」。展示室は江戸ゾーンと東京
ゾーンに分かれる。江戸ゾーンには絵図、浮世絵などの資料や、日本橋や
中村座の模型、長屋の大型模型、可動模型、持上げ可能な千両箱などの
展示物が設置されており、庶民の日常生活、火消し、食生活、文化など、
城下町としての江戸に関する展示が行われている。東京ゾーンでは明治
維新、文明開化、関東大震災、東京大空襲などの展示がある。

東京2

吉原「三浦屋」の有名な「高尾太夫」。吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓
(寛永三名妓)と呼ばれる。三浦屋に伝わる大名跡であった。

東京3

三越の前身「越後屋」。「店前売り」と「現金安売掛け値なし」(定価
販売)などで庶民の心をとらえ繁盛。当時の賑わいぶりが、覗えます。

東京4

博物館から出口に向かうエスカレーターの壁面に描かれた絵が面白
くパチリ。

東京5

第92回全国学生相撲選手権大会が、国技館であり体格の良い学生が
団体でウロウロ歩いている中を、錦絵の力士を撮影して来ました。

東京6

今回行きたかった「靖国神社」。5時の終了時間ギリギリにお参りして来ました。

東京7

流石に遅い時間帯で、参拝客もマバラな本殿。

東京8

2日目は、初日と打って変わり快晴の天候で、赤穂三代50年の赤穂浪士の
墓がある「泉岳寺」。藩主『浅野長矩』を筆頭に四十七士の墓が並んでいます。

東京9

ある意味藩主より有名な「大石内蔵助」。この銅像は、浪曲の宗家・桃中軒
雲右衛門の発願により鋳造されたもので後に泉岳寺に寄贈された。

東京10

東京観光の定番「浅草寺」。特にここは、外国人の人気が高いのか他の場所
より悠に多い中国人の団体客で、あふれ返って賑やかな中国語に圧倒されました。

東京11

アサヒビール本社の、かの有名な通称「ウンコビル」。本来はビールの泡を
連想させる為に立てて置く予定だったらしいが、倒壊の恐れありで建築許可
が下りずに不本意ながら、横置きにしたところあだ名がついて、観光名所になってしまった。

東京12

同じく東京観光定番の皇居。前回の東京観光で場所が分からなかった「楠
正成」像。明治33年に住友家から、宮内庁に献納され高村光雲や東京美術
学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成された。本体の高さは4m
あり、台座を加えると
約8mになります。

東京13

中学3年生で、修学旅行専用団体列車「きぼう」号に乗って、初めて東京を
訪れた時クラス毎に、二重橋の前で記念写真に収まった時の事を懐かしく思い出しました。

東京14

銀座四丁目の「和光」。向面の三越の2Fの喫茶でお茶を飲んで2日目の
散歩は、終了。ホテルに帰るには早すぎたので、有楽町の「丸の内ピカデ
リー」でスターローン主演の「エクスペンダブルズ3 ワールドミッション」
を見てから品川に帰りました。

東京15

3日目は、生憎の雨模様になり残念。今回初めて「明治神宮」にお参りに行きました。

東京16

明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を集
める。天候が思わしくない中、結構外国人が訪れていました。

東京17

昭和の雰囲気を残す「谷中ぎんざ」。大都会のイメージの強い東京にも
まだ、こんな商店街が残っていて、観光客を集めているらしい。平日の
午前中という事もあり閑散としていました。

東京18

寅さんに会いに、葛飾柴又に行って来ました。

東京19

映画でお馴染の「柴又帝釈天」。横から「源ちゃん」が出て来そうな雰囲気でした。

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草だんごを食べた「亀屋」。映画のだんご屋のモデルにもなった。面白い
ノレンをパチリ。

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浅草・かっぱ橋道具街の名物コックの顔の大看板。

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3日間の『東京ぶらっと散歩』でした。万歩計を持って行って計測したら、
連日2万歩超で、普段はそこまでの歩数を歩かないので、脚が痛くなる
かな思いましたが、日頃のウォーキング習慣の性か、余り痛くはならずに
済みました。次にいつ東京観光に行けるのかは、分かりませんが今回
感じたのは、浅草六区の再生プロジェクトで何か所か工事していて、
東京はまだまだ進化中であり、2020年のオリンピックまで、どれだけ
変貌をするのか楽しみです。

第3回ミニ同窓会 出雲大社

Category : 旅行
毎年恒例になった、高校のミニ同窓会で山陰地方(出雲大社)に7/6(日)-7(月)の1泊2日で
行ってきました。今年は、湯快リゾートの「皆生温泉・彩朝楽」に泊まり、堪能して帰ってきました。
梅雨時と言う事もあり、初日は雨模様でしたが、2日目は、曇り時々晴れと、日頃の行いが良い
せいか何とか天候にも恵まれました。婚約が内定した高円宮家の次女典子(のりこ)さま(25)と
出雲大社・禰宜の千家国麿(せんげ・くにまろ)さん(40)のタイムリーな話題もあり、出雲大社は
大勢の人で賑わっていました。

出1


初日、雨模様の中、湯原温泉(岡山県真庭市・湯原)で無料の露天風呂に入った後、蒜山高原で
名物のジンギスカン鍋を楽しみました。

出2

雨の中、伯耆富士と呼ばれる、大山中腹にある、天台宗別格本山・角磐山「大山寺」にお参り
して、『幸福の鐘』を突いてきました。

出3

2日目は、烏城とも呼ばれる別名“千烏城”の松江城から観光のスタートです。松江城主の松平
7代治郷公(不昧(ふまい)公)は地上産業振興、治水新田開発による石高増により財政再建。
借金経済は改善し蓄財をつくる。そして、茶禅一昧の独自の境地を開くもととなり、茶人大名と称せら
れるようになった。松江のお茶文化を作った大名でもあり、名君として名を残している。

出4

堀尾吉晴(ほりおよしはる)
尾張の国生まれ。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三代に仕える。姉川・長篠の合戦・備中
高松城水攻め・山崎の合戦等で活躍。遠江浜松12万石を拝領、後に嫡子忠氏(ただうじ)に譲る。
松江城は、1611年に堀尾吉晴公によって築かれたお城です。

出5

宍道湖から、松江市内中心部を望む景色。

出6

縁結びの神様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)をまつる出雲大社。
国宝である現在の御本殿は1744年に造営され、これまで3度の遷宮が行われてきましたが、
現在、60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われています。

出7

出雲大社は島根県出雲市にある神社である。式内社出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。
巨大な注連縄の「神楽殿」。新しい大注連縄は島根県飯南町の出雲大社勧農講社頓原支部
(代表星野敏幸、20名)により奉製され、昭和56年に神楽殿がご造営されて以来、平成20年の
平成の大遷宮の仮殿遷座祭の際に続いて6度目の奉納となります。今回奉納の大注連縄は
長さ13・5メートル、太さは最大8メートル、重さ4・4トンと日本では最大級の注連縄です。

出8

神社参拝の作法として、一般には「二礼・二拍手・一礼」ですが、出雲大社は「二礼・四拍手・一礼」
となります。

出9

因幡の白ウサギの伝説で有名な大国主命。出雲大社の祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)
の大きな御神像が置いてあった。

出10

昼食は、約220年の歴史をもつ出雲そばの老舗「荒木屋」。そば粉を引く際に、甘皮も一緒に
引きぐるみにする為、色が濃く風味が強いのが特徴です。そば粉は出雲産を主に国産玄そばを
石臼で挽いたもの。ウルメイワシから取っただしをかけて食べる。おいしかった。

出11

「日本三美人の湯」と言われている、「湯の川温泉」(島根県出雲市斐川町ヒカワチョウ)で今回の
旅行の〆で2日間で4回目の温泉に浸かって、帰路に着きました。その他の美人湯は、◎龍神温泉
(和歌山県龍神村)◎川中温泉(群馬県吾妻町)らしいです。今まで全く知りませんでした。早くも、来年
のミニ同窓会の行く先を全員で侃々諤々と車の中でやりながら、楽しくお開きと相成りました・・・。

出12



栗林公園

Category : 旅行
「読書の秋」11/17~11/23が始った。名前の由来は、中国の唐時代の詩人・韓愈(かん
ゆ)の詩「燈火(とうか)親しむべし」(訳:秋になると涼しさが気持ち良く感じられ、あかり
になじむようになる)という一節だと言われている。秋は読書に最適な季節という事で、
1924年に日本図書館協会が図書館週間を11月17日から23日としたのも、「読書の秋」
を定着させた一因である。読書大好き人間の一人として、読書量が増えそうです。


法事で、高松市へ一泊二日の小旅行に行ってきました。9月に12年物の「ウィンダム」
から3年物の「プリウス」に乗り換え、それまでが市街地で1リッターで、6Kmの燃費が
1リッターで、18Kmと良くなり、さすがは「プリウス」だと喜んでいました。
高速道路の燃費が、前の車でリッター8Kmがなんと25Kmと伸びて、広告宣伝で謳われ
ているリッター30.5Kmには及びませんが、満足のいく燃費効率の良さでした。

本四連絡高速道路の明石海峡大橋を、淡路島側から撮った写真です。

高1

本州四国連絡高速道路(JB本四高速)の休憩施設の中でも規模が最も大きく、総施設
の売り上げは東名高速道路の海老名SAと並んで全国トップクラスの「淡路SA」。
2006年に設置され、座席も床も透明な「シースルードラゴン」の大観覧車。

高2

400年近い歴史を持つ、江戸初期の回遊式大名庭園の「栗林公園」入り口の案内図。
緑深い「紫雲山」を背景に6つの池と、13の築山が巧みに配置された、国の特別名勝
に指定されている、文化財庭園です。

高3

それぞれの池に、大きな鯉が放し飼いにされ、観光客がエサの麩をやると、我先にエサ
の争奪合戦が始ります。

高4

お殿様気分で、「舟遊び」南湖周遊和船で、船頭の解説を聞きながら庭園を眺める
観光客を撮りました。

高5

園内の橋で一番大きな「偃月橋(えんげつきょう)」弓張り月(半月)が湖面に
影を映す姿から命名された。

高6

南湖に浮かぶ杜鵑嶼(とけんしょ:杜鵑花とはサツキの漢名)は文字通りサツキの島。
長年の刈り込みで偶然ハート形になったサツキが、近年「恋ツツジ」の愛称で呼ばれる
ようになり、恋人達に人気がある様です。

高7

栗林公園を訪れるのは、高校3年の時に友人と3人で、来て以来約48年ぶりになり
その当時の、印象は失われて、初めて訪れた様な新鮮な気持ちで、園内を散策しました。


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